愛町の歴史を紹介します

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―関根先生と音楽の出会いを教えてください

私と音楽の出会いは、小学校4年生頃でした。当時、通っていた小学校の担任の先生の息子さんが名古屋にある鶴舞公園の近くで吉川すいほう先生という方にマリンバやシロフォンを習っており、私も一緒に習いに行ったのがきっかけでしたね。昭和27年には中部地方のコンクールで3位になった記憶があります。

―音楽隊として活動するきっかけは

清和先生2.jpg青年時代の関根清和氏昭和37年に愛町の教会内で若い人の集まりを作ることとなり、音楽の出来そうな人を少しずつ集め始めました。集まったメンバーの楽器編成は様々で、バイオリン・クラリネット・アコーディオン・トランペット・トロンボーンなど、その中で私はドラムを叩いていました。名前こそまだないものの、それこそが愛町としての実質的なスタートであったと言えますね。そして、同年の6月頃に教会内ではありますが初めて演奏を発表しました。


―その当時の思い出に残るエピソードは何かありますか

演奏を発表した後、吹奏楽団を作ろうかという話になり吹奏楽編成の22台の楽器を購入しました。その時は私を含めてわずか4人でした。楽器はあるけれども人手が足りない状況をどうしようかという話をしていたところ、ちょうど名古屋電気工業高校(現在の愛知工業大学名電高校)の卒業生で吹奏楽経験者が名古屋にある楽器店で集まっているのを聞きました。声をかけましたら、双方の思惑が一致したこともあり、30人ほどのメンバーである程度の演奏ができる体制が整いました。集合写真-1.jpg名電OBを含む当時の愛町バンドの写真名古屋の中区役所ホールで名電OBが演奏会を開催するときにはそのお手伝いをし、逆にこちらが演奏会をするときには向こうの人達が手伝ってくれるという形でした。
当初は青年部吹奏楽団として活動しており、昭和38年10月頃に初めて制服を作ってもらい、町の交通安全パレードに出たり、ロータリーの集いで演奏をしたりし始めるなど、町や市の行事にも出演するようになってきました。


―愛町とマーチングとの出会いはいつ頃ですか

パレードバトン.jpg最初は吹奏楽団として始まりましたが、昭和44年8月にヤマハ財団が「トーマス・デービス  パレードクリニック」を開いて、その講習を受けたことがマーチングとの出会いでした。パレードブラス.jpg昭和45年には武道館で天理教の青年大会があり、その本番を目指して簡単な隊列を組む程度でしたが初めてドリルにも取り組みました。これが人前で初めて披露したドリル演奏になります



―国内マーチングの成長とともに歩まれた道のりをお聞かせください

昭和46年5月に指導者協会が設立され、その年の8月に行われた箱根・強羅の「第1回サマーキャンプ」に愛町からも何人かが参加しました。その時に初めて原田元吉先生(現日本マーチングバンド・バトントワーリング協会顧問)に出会いました。
昭和47年3月18日に原田先生が中部連盟(東海支部)を設立するときには、愛町の方で作業などのお手伝いをさせてもらいました。そして、3月29日には第1回の総会が名古屋で開催されました。


DSC_0053.jpg第1回全国大会の盾昭和48年には第1回全国大会が東京都体育館で開催されました。当時は、50名~60名ぐらいのメンバーで参加したことを覚えています。今でも「第1回全日本マーチングバンドフェスティバル主催  全日本マーチングバンド連盟」と刻印してある第1回全国大会の盾は最も大切にしている物のひとつです。このころから現在と同じ『天理教愛町分教会吹奏楽団』というバンド名で活動を始めました。


また、この年にJMBDA(日本マーチングバンド指導者協会)の「マーチングバンドアメリカ研修旅行」がありまして、原田先生・広岡先生・秋山先生など10名ぐらいの方々と一緒に、アメリカのマーチングバンドの視察研修旅行に行きました。当時、アメリカのバトンスタジオに入っていた岩月あけみさんも一緒に同行しました。オクラホマ州エニッド市で開催されたマーチングの大会、活動が盛んな学校のマーチングバンドへの見学、打楽器メーカーのラディックの工場など訪れました。そして、8月に行われた「第2回サマーキャンプ」にはミシガン大学のキャベンダー氏やブラウン氏が来日。バトンのみなさんと.jpg浜松で行われた「第3回総会」の研究会では私がアメリカのバトンコンテストを見に行った際に撮影した16ミリフィルムを見せながらの報告をしました。同年10月には第3回の理事会が愛町の会議室にて行われました。昭和49年にはハワイでの天理教青年大会で初の海外遠征も経験しました。ワイキキ通りを全面ストップしてのパレードをしたり、HICホールでステージドリルを披露しました。


昭和53年に日本マーチングバンド指導者協会でライセンス制度が始まり、私も公認指導員となりました。昭和54年には日本マーチングバンド指導者協会のハンドブックのVTRを作るということで、愛町教会に先生方が泊り込んでの作成となりました。



―早い段階から海外インストラクターとの繋がりがスタートしたようですが

その頃、私自身は結婚を機にバンドを後進に譲り少し離れたこともありましたが、日本マーチングバンド指導者協会には引き続きお手伝いをさせていただいていたこともあり、昭和55年(1980年)にアラバマ州バーミンガムで行われたDCIを原田先生と一緒に初めて見学に行きました。
前述したように数年間は愛町の活動とは離れていましたが、昭和56年にバンドが危機的状態になったこともあり、その整理にあたるために少しずつ関わるようになりました。それまでにも大会には継続して参加はしていましたが、バンドとしてはこの時期に再出発という転機を迎えたことになります。
そして1992年、まだ18歳だった梶山宇一君がアメリカのキャバリアーズに行くのをきっかけにアメリカの指導者の人達と知り合う様になっていきました。その当時、キャバリアーズのアレンジャーであったゴードン・ヘンダーソン氏(カリフォルニア大学ロサンゼルス校{UCLA}教授)や同じくパーカッションアレンジャーのジム・キャンベル氏(現ケンタッキー州立大学教授)と平成3年に繋がることも出来ました。
平成4年には名古屋で行われていたダンスドリルチームの大会(当時は世界大会)に参加して、カラーガード部門にて文部大臣賞(世界一)を受賞した記録があります。
平成5年にはゴードン・ヘンダーソン氏、ジム・キャンベル氏、そしてドリルデザイナーのメッチ・ロジャース氏(元キャバリアーズドリルデザイナー)を招いて教えていただくようになりました。またキャンベル氏の弟子のスコット・クレッツァー氏も来日していました。また、平成6年からはマイケル・ゲインズ氏(現在、愛町にてWGIのショーコーディネーター)にも来日してもらいました。当時はカラーガードのインストラクターとして指導をしてくれました。

―WGIへの参加から得たことはありますか

img045.jpgWGIカラーガード部門(平成19年/2007年)3位入賞平成8年(1996年)の全国大会では初めて2位になりました。この時から成績を発表するようになったと思います。また、同年4月には初めてカラーガードチームがアメリカ・オハイオ州で開催されたWGI(Winter Guard International Championships)に参加しました。前年にWGIを観戦したのがきっかけで出場を決めました。全国大会が終わって、オフシーズンになってしまうと技術力が落ちてしまうこともあり、それではいけないということでWGIに出場しています。初めて出場したときにはファイナルの舞台にも立つことは出来ずに24団体中18位という成績でした。R01_0013_5.jpgWGIパーカッション部門(平成20年/2008年)3位入賞15位までがファイナル進出でしたので、初めての割には健闘したといった感じでしょうか。その後もカラーガードチームは、1999年・2002年・2004年・2007年に出場しており、マイケル・ゲインズ氏、ジム・モアー氏(ブラスト振付師)、エンディ・トース氏(キャバリアーズ振付師)、ロージー・ミラー氏(カラーガードインストラクター)の指導により、2007年の5度目のWGIへの挑戦では第3位・銅メダルに輝きました。パーカッションも平成2000年よりWGIに参加。DSC_0078.jpgこれまでに、2003年・2006年・2008年の計4回出場し、ブレッド・クーン氏(元キャバリアーズ・パーカッションアレンジ)、エリック・ジョンソン氏(イノベイティブ パーカッション代表)、石川直氏(ルーディメンタル・スネアドラマー)、ティム・フェアバンク氏(ブルーコーツ・プログラムコーディネーター)の指導のお陰で、これまでに合わせて3度の3位入賞を果たしています。


DSC_0110.jpg平成9年の第24回全国大会では初めて同点で1位となりますが席次合計などで惜しくも2位でした。しかし、同年4月には専用の練習場が完成し、より充実した練習に取り組むことができたこともあり、翌年の「第25回記念大会」では念願のグランプリ『内閣総理大臣杯』を頂きました。そして、昨年12月の「第36回全国大会」までに計7度のグランプリに輝き、2度の招待演技の栄誉をいただきました。



―海外との交流も積極的に活動されているようですが

43530016.jpgタイ遠征の様子(平成16年/2004年) 今では、北海道から沖縄まで日本全国からマーチングを志す若者たちが集まっていますが、2001年からアメリカやタイなど海外からも愛町に入団を希望する方達と共に活動し、これまでに各国とも25名ほどのメンバーが所属しています。また、海外遠征にも数々参加させていただいておりますが、2004年にタイで行われたヤマハ主催「タイ・マーチング全国大会」にゲスト出演したのをきっかけにシンガポールの指導者とも知り合い、今では愛町からシンガポールへ指導に行ったり、シンガポールから日本に来て泊り込みで指導の勉強をするといった繋がりへと発展しております。CIMG2589.jpg中国・上海遠征の様子(平成20年/2008年)
昨年5月には、2010年に万博が開催される中国・上海市から招待を受け、そのプレイベントとして開催された「上海之春国際音楽祭」にゲストとして出演しました。更にスイスやインドからも出演の依頼がきています。今後も演奏の技術向上はもとより、音楽を通じて豊かな感性を育むことと青少年の人間形成に目標を置き、努力を惜しまず“心を一つに合わせ”一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。



マーチングを取り組むきっかけなど当時の貴重なお話をお伺いするとともに、積極的に海外交流を進め、そこで培った技術を惜しみなくアジア各国に広げようとするその姿勢こそがアジアのマーチング発展に大きく寄与されていることは言うまでもなく素晴らしいことだと強く感じた取材となりました。本当にありがとうございました。(ドラムコーファン編集部)



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